東海道「藤澤宿」

藤沢は鎌倉時代から、遊行寺の門前町として栄え、江戸時代初期から東海道藤澤宿としてさらに発展をとげた歴史ある古い町です。
遊行寺や藤沢宿は近隣諸国の人々が江ノ島弁天詣や大山詣の拠点でした。
明治時代に入ると、藤沢商人の町としてさらに賑やかになり、現在でも古い蔵が当時をしのばせます。

・遊行寺橋界隈の昔
・遊行寺橋界隈の昔
・遊行寺橋界隈の今
・遊行寺橋界隈の今


「わた屋」の歩み

昭和21年頃撮影 終戦直後 まだ宿場町の面影が残るわたやの前で。 モンペ、着物姿の母チヱ、祖母イセ、長女を抱く父政雄。

わた屋は200年の歴史をもつ旧家です。江戸時代からあるわたや(綿屋)の屋号からしてして、綿花の商売を営んでいたようです。

幕末、明治の頃には宿屋を営むようになり、江戸からの旅人は藤澤宿で最初に目に付く旅籠でした。

第7代目政徳の知る「わたや」は、昭和20年に創業、昭和30年代は行商人などの常宿として繁盛しました。

昭和40年にはアパート専業に業態を変えましたが、今回古い歴史を持つ建物をリフォームし、日本的趣を持ち、外国人の方々にもご利用いただけるお宿として、再出発することに致しました。


昭和12年頃撮影 父政雄 二十歳の頃 当時でも珍しいアコーディオンを弾いているところ

わたや旅館の女将チヱの娘時代 母チヱは長後近辺の農家の出身

昭和30年頃撮影 雪のわたや旅館の前で。寒さの中、満面の笑みを浮かべている女将チヱ